海苔屋 神戸栄一郎の話-6
いままで書いてきた様に文章で書いてしまえば、数ページで「旨い海苔」の『手づくり海苔』という商品が簡単に出来たように見えるが、、、、
この間実に、昭和五十八年から平成三年までの約八年程が経過したのだ。
それは実際は私自身も、旨い「海苔」とは本当はどんな味か、おいしい「海苔」として一般消費者に認めてもらえる味とはどんなものか自信がなかった。
人には個性があり、味覚にもいろいろ好みも多い。
ある時酒を呑んでいて、その酒の味について話しているうちに、
「この酒は甘口の酒や」と誰かが言うと、「いやいやこれは辛口の酒や」と誰かが言う。
「いや辛口とは・・・・・・」
「いや違う。そもそも甘口の酒は・・・・・・」
最後には苦味や酸味まで出てきて、結局何がなんやらサッパリわからんようになった。
この様に、味とは大変難しいものなのだ。
結局は多くの人々が「旨い!」と言ってくれる「海苔」を見つけることである。
それには自分が美味しいと思った「海苔」を多くの人々に試食してもらうことだと思いついた。
商売にはならないが、他に良い方法もない。
先ず、「海苔」の先生方や関係者、近くの消費生活研究会や消費者協会、また食品加工業の宣伝会社等を探して、見本やカタログを届けた。
高級旅館やホテルにも宣伝の見本を送ったり、訪問して意見を聞いた。
一方では、「こんなアホみたいなことして、人が笑うで」と言われて、折角掴んだ学者先生との関係もグラグラ揺れて、心が落ち着かなかった。
だが私は、子どもの頃から「海苔」の味が好きで、「美味しい「海苔」が売れる海苔屋になれたら」と考えていたので、仕入れ先の問屋の人々にもいろいろ指導されながらやってきて、今更後戻りなどできん!
何とか道を開いて進むだけや!と決めた。
そうすると不思議にも次々と色々な考えが浮かんできた。
つづく
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