海苔屋 神戸栄一郎の話-3
以前はすし屋さんへ奉公して、修行し一人前のすし職人になった人が多かった。
しかし最近では、アルバイトのような素人職人が多くなったので、昔の様なうまい巻きずしは見られなくなった。
節分の丸かぶりずし等には、かぶりついても噛み切れず、いつまでもチューイングガムの如く「海苔」が残って仕方なく飲み込んでいる人も多いと思う。
皆さんはそんな経験がないだろうか?
味や香りも、昔の「浅草海苔」の独特の独特な風味が感じられなくなった。
その原因は、機械化による大量生産と、大量生産型の新品種の「海苔」に帰するのである。
戦後の大きな需要に対応して、開発研究に努めた文子者先生達も、今更昔の「アサクサノリ」に戻すこともできず、そこで何とかもっと良い品種の旨い「海苔」が出来ぬものかと、バイオテクの技術等を駆使して四十年もの年月を研究に費やしている先生に三重県の鳥羽で会う機会を得たのだ。
昭和五十八年の夏のことだった。
つづく
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