榮屋海苔店のはじまり

私は西暦一九二二年生れの細身の男性です。

職業は、海苔販売業。海苔は食品の海苔である。

約55年ほど前に始めた仕事で、不思議な縁でこの仕事に入りました。

それは後述するとして、私は昔からあの眞白な甘い大根おろしに、手あぶりした焼きのりをもんでかけ、そこへ醤油と少々の味の素を入れかき混ぜて熱いご飯にかけて食べるのが大好きでした。

日本人なら必ず「旨い!」というご飯です。

私の大好きな海苔も仕事として生活するとなると容易いことではない。

関東なら別かも知れないが、関西では毎日海苔を食べるという習慣もなく、小売では成り立たないので、おすし屋さんや食堂等の業務用海苔の販売をするようになった。

そこで私は、各生産地で生産された海苔が大変差があり、味や風味が全く違っていることを発見した。

当然、この差をすし屋の主人に知らせその店の独特の味を出してお客さんへのサービスに出来ればと考え売り込んだつもりだったが、これに反応するすし屋がなく、期待外れになった。

すし屋の主人は外見がよく、値段の安い品、即ち儲かる海苔を求めていた。

全く私は素人の商人でした。

私が生計を立てる為には、すし屋に来る客を喜ばすのではなく、すし屋の主人を儲けさせるお手伝いをしなければならないことになる。

考えるだけで希望も何もなくなる嫌な商売を選んだものだとがっかりした。

それは私とて、儲けて儲けて金持ちになりたいと思って仕事を始めたのであるが・・・

すし屋の主人に「お客が喜んでくれたら益々繁盛して儲かるのではないか?」と話をすると

主人が言うには「お客は安いのが大好きや。少しくらい味がどうであろうと「安いの!安いの!」と言って来るから、少しでも安いものを仕入れてお客を喜ばせるのが商売や!」と言うのである。

ここまで来ると根本的に考え方が違う私は、益々心の中の整理が出来なくなってしまった。

同業の或る大先輩にこのことを打ち明けた。その返事がこれである。

「あのな、あんたは文子校も大学も出て、勉強してはるさかいにそんなことを言うけれども、丁稚に行って修行した人ならそんなことは言わん。あんたはまだ修行が足らんのやで」と言って肩をポンと叩かれた。


何を言うか!学問を少しでもしたからこそ、昔風の幼稚な儲け主義に疑問を持つのであって、丁稚修行でそんな考え方が出てくるもんか!と大先輩の学問を見てみたいものだと腹が立った。

第一回     終わり

榮屋海苔店

ひとつ、ひとつ手をかけ「美味しい」を届ける手づくり海苔店。 大阪の下町にある小さな海苔店です。 「紫菜(のり)」の本来の美味しさを届けたいという想いで、1948年に開業いたしました。