海苔と人

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    インタビュー

    「人間も、海苔も、発酵」 栄屋海苔店 神戸栄一郎インタビュー | 粋文化探究会

    ※このインタビューは『粋人記』(粋文化探求会編・2013年発刊)から抜粋したものです。 1948年に京都で起業。 大阪を拠点に、うまい海苔を求めて全国の産地を歩き回ってきた。 うまい海苔をつくって、多くの人に食べてもらいたい。 その一心で毎日海苔を焼き続ける、 栄屋海苔店の神戸栄一郎氏。海苔の声に耳を傾けながら、 一枚一枚、必要な分だけ手焼きする。 本物にこだわる料亭や寿司屋をはじめ、 美味しい海苔を食べたいと願う消費者に直接届ける。 90歳とは思えない、抑揚の効いた狂言師のような口ぶりからは、 海苔を探求し続ける気概と、海苔への深い愛情が伝わってきた。 自分は海苔に縁があるかもしれん なぜ海苔を焼くようになったんですか? もともとは京都の乾物屋のせがれでして。四条烏丸の室町の問屋街にあって、おばんざいも売っている店でした。立命館大学を卒業したあと戦地に行って、運良く生きて帰ってきました。それから大阪の繊維会社に入りましたが、北海道に支店ができるというので、「乾物がたくさんあるな」と北海道へ志願して行きました。北海道へ行ってから会社を小樽の昆布配給会社に移ったんです。昭和24年、30歳くらいの頃です。そして昆布を2、3年やって京都に戻ってきた。乾物屋も当時は配給制でしてね、あるとき古い韓国海苔が配給になったのですが、親父は「古い韓国海苔なんていらんわ」と相手にしなかった。それで私が売ってやろうと思いまして。ちょうどその頃、出町の市場で大変繁盛していた蒸しイモ屋に、「ここで一緒に海苔を売らせてください」とお願いして海苔を売り始めました。薄っぺらい韓国海苔でしたが、表裏をひっくり返して束にして綺麗な赤いテープに包んで並べたら驚くほど売れましてね。 見せ方を変えるだけで商品の価値が変わった。商売の才能がおありだったんですね。

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